題字「天地無辺」の由来

 


「天地」というのは、天と地、あめ・つち、天壌と同義である。即ち、万物創造の元気であって、易の「天地絪縕(いんうん)」というのがこれである。易によれば、宇宙は大極(陰陽)を生じさせ、さらにその各々がそれぞれ陰陽を生じて四極(四象)となり、四象から八掛、六四掛と等比級数で倍加して万物にあまねくという。明暗、白黒、上下、左右、東西、南北、凹凸、男女・雄雌というのも、天地の元気によって支配されている。
漢語で「天地」は<世の中>ともされるが、これは仏教のいう宇宙であろう。
天は見えない。あまりにも広すぎて人間の目では、その大を測ることはできない。だが、人は天(元気=神)によって創造されたものである以上、天は人の意思を臠れておられるのである。
書の泰誓に「天は視るのは我が民の聞くに自う」とある。ここでいう、視ると聴くというのは、意志をもってミル・キクのことで、見える、聞こえるという消極的なものではない。この逆に「民の欲するところは天必ず之に従う」とあり、さらに、「天に口なし、人をもって云わしむ」ともいう。
これ即ち、為政者は社稷(皇国)を顧みず、国民を不幸にするような悪政を行えば、民の怨嗟がつのって、やがて「天の声」となり、これが「天の怒り」「地の怒り」に変わるのである。
江戸時代の圧制に苦しんだ百姓が、止むにやまれず起こした百姓一揆、フランス革命の時、バスティーユの牢獄に押し寄せた大衆の怒りがこれで、国利民福を計らない宰首は「天の命」によって放伐されることを知らねばならない。
「無辺」とは、きわまりないこと、果てがないこと。「天壌無窮」の「無窮」の意、真理の普遍をいう。
本誌の「無辺」とは、大義の永遠普遍を云う。即ち天皇の国、大日本の道統を奉じて護持することにあり、もって邦家の繁栄と世界平和に寄与するの意である。

 





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