われわれは彼の身の心配を他所に、この日の本分である糾弾行動を全うすると、皆で彼が取り調べを受けている警視庁丸の内警察署に向かった。
既に丸の内署玄関前は機動隊が配置され、自由に行き来の出来ない状態となっていた。われわれもまた、この逮捕は彼の自らの決断の結果であることは充分承知している故に、日頃の警察権力による横暴、不当逮捕などと云って混乱を生じさせる気も毛頭ない。ただ、彼の志と義に感銘し、居ても立ってもいられずここへ来たのだ。同じ想いを胸中に、続々と同志が街宣車で集まってくる。街宣車は、彼が大好きだった歌「嗚呼銃弾に正義あり」とエールを轟かせている。刑事の取調べを今、受けている彼は聞こえているだろうか?たとえば、今の彼はその部屋に一人かもしれない。だが、志と義を共有した所謂同志は、壁一枚隔て、青木同志の義挙の連帯を誓っている。青木氏は一人であっても独りではない。われわれの“連帯”は、無論、彼の口にした“連帯”と同義である。
警察権力者も突き詰めればわれわれと同じ血が流れるということか、われわれの憂国の熱情が通じたか、彼らはわれわれのシュプレヒコールを暴力的制止しようとはしなかった。このシュプレヒコールは、ついぞ一時間前におこなった、怒りと悲しみに糊塗されたシュプレヒコールであることは説明の必要も無い。激励と連帯を訴えるエールである。拳突き上げての激励のコールは今日の義士に、連帯のコールは明日の自分に。日暮れてなお続くエールも終えると、われわれ同志は、現代の勤皇攘夷に従った彼の、早期戦線復帰を祈念し丸の内警察署を後にした。
尊皇攘夷萬歳!!
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