2月7日 2・7対露軟弱北方領土の日粉砕青年統一行動



 良識ある国民、領土を学ぶを知る国民は騙されてはいない。我々、領土奪還及び死守を訴えてやまない右翼・民族派陣営もまたゴマかされない。自民党はじめ政府はこの日を「北方領土の日」などと呼び、奪還に対する如何にも強硬な姿勢を、ロシア政府且つ日本国民にイメージさせるが、全くもって実はその正反対。敗北主義者が敗北主義者であることを証明しているに過ぎず、そして、奪還の現実的勝利を最初から念頭に持たない逆証明でもある。

 この2月7日に、奴らが「北方領土奪還!」を訴えるその論拠は何なのか。

 ご存知の通り、安政元年(西暦1855年)2月7日に結ばれた「日露通行条約(下田条約)」に因んだもの。

 しかしながら歴史を正しく学べば、日露間で島嶼に関わり結ばれた条約は、その20年後の明治8年(西暦1875年)「千島樺太交換条約」がある。

 さらに、その30年後には「ポーツマス条約」、そして大正14年には「日ソ基本条約」による効力を相互間で確認し、「南樺太」「全千島」は日本領と認め合ったのである。その歴史事実を有しながら、敢えてわざわざ2月7日の「日露通行条約」にした理由がさっぱり理解出来ない。一つ解っていることは、この「日露通行条約」では、択捉島とウルップ島の間が国境線と定めており、従って当然我が国は、それ以南の択捉・国後・歯舞・色丹の四島に限定されてしまうと言うことだ。つまり歴史的事実である「ポーツマス条約」「日ソ基本条約」等を論拠の領域より外したと言うことは、必然的に南樺太・全千島を放棄してしまっているということと同義なのである。わざわざ、より古い条約を論拠に据えたことにより日本が主張出来得る領土範囲を狭めた真意を測り、そして、その自ら限定した四島すら奪還出来ない情況事実から導かれる結論として、日本は情けなくも昭和20年8月9日にソ連(当時)の背信行為の元、完膚なき辛苦を舐めさせられ、以降そこから起ち上がること出来ずして、正に敗北に敗北を重ねる誇りなき国家に堕落してると言えよう。

 昭和20年8月、広島・長崎に人類史上未曾有の大量殺戮が二発の原爆投下によりおこなわれた。それは日本にとって致命的打撃であると判断したソ連(当時)は、あろうことか国際法と日本間で有効中であった条約の禁を破り北の島々に武装侵略した。それによりソ連の実効支配がなされたことは事実だ。だが、しかしそのソ連も崩壊し、今はもうない。

 日本政府は、これだけの論拠と理由でロシアから南樺太・全千島を含む北方領土の奪還が可能なのである。にも関わらず現実は無念にも未だ我が国の主権外に位置する。それはとりもなおさず、指導者が天も神をも恐れぬ鬼畜ロシアに服従する敗北主義の集であり、国民総意の悲願を叶える機能も気概も無いことを示唆している。母なる大地を見殺す国家が健全であるはずがない。不健全な国家であるからこそ幾多無数の国難に見舞われるのだ。領土外交においての後顧の憂いも如何に山積みされていることか。

 

 だからこそ、われわれ有志はこの日、「青年統一行動」として時限的陣形を靖国の社に建設した。憂国の熱情が齎すこの戦陣は、当然の如くわが内なる政府にその矛先を向けた。一同は靖国の二百四十六万柱の英霊、先覚の神霊に勝利の決意を宣言し、そして「海ゆかば」を熱唱した。

 当然、記するに及ばないが、小泉純一郎やイカサマ・ペテン師と寸分違わない政治家官僚どものような、不戦と贖罪の為に靖国神社へ不名誉な参上に来たのではない。英霊の後に続くを誓って鳥居を潜ったのだ。

 勝利の道のりは長い。明日の日本は明るいものではないかも知れない。

 が決して、勝利なき道のりである筈もなく、そして前進する限り、暗くもないのである。

 


靖国の社にて国民儀礼をおこなう有志

入魂のシュプレヒコール

注意事項を読み上げる社主河原

集会を終えて、いざ出陣

 

     2・7対露軟弱北方領土の日粉砕青年統一行動 ◆

 

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